(円卓)改めて「教育とは」を考える

声楽家・子守唄研究家 川原井 泰江

今更ながらの問いかけですが、「教育」とは何でしょう。

そこで広辞苑を開いてみましたら、おおよそ二つのことが掲載されていました。

一つ目は「教え育むこと」、二つ目は「……学校・家庭・社会・国家に於いて、成熟者が未成熟者を教えて導いて知識を開くこと」でした。

義務教育の現場では、当然のことですが、指導者の知識・技術・年齢は、子供たちより勝っています。しかし、知識や技術以外のものの考え方などを、子供たちから学ぶときがあります。

そこで、成熟者と未成熟者の基準はどこにあるか、考えてみました。私自身の経験を例に挙げますと、演奏家になるためには当然ですが、高度な技術や知識を磨く必要があり、幼少から専門教育を受けてきたという経験があります。

ある時点で、特に身体を楽器としている声楽家にとって、声を出すための高度なテクニックも大切ですが、精神的影響が演奏に大きく作用するのに気付きました。

それは演奏中、もう一人の自分が常に冷静に、精神状態や身体に起きている事柄を客観的に観察し、対応していく必要があるということです。安定した演奏をするために、自己を制御できる精神修養が大切なのではないかと気付いたのです。

また、演奏からは、演奏者の人間性までも感じることができます。現在の私があるのは、厳しくも思いやりを持って、その過程にあった指導に当たってくださった諸先生方との日々によります。

彼らは技術だけではなく、舞台上の所作はもちろんのこと、周りの方々への接し方や、私に合った勉強の方法までも面倒をみてくださいました。それは学校や家庭では、学べない経験でした。

自動車王ヘンリー・フォードは、「自分で自己に気づき啓蒙し、自分に対しても自分を教育していく」と。

また、作曲家セルゲイ・ラフマニノフは、「人間は一生学ばなければならない」との言葉を残しています。

この二人の言葉のように、生涯を通して、自己を教育し続けることが大切であると考えます。それは、上質な教育提供につながると確信いたします。