【連載】校長のパフォーマンス 第67回 「授業人間」待望論

教育創造研究センター所長 髙階玲治

 

この夏の芥川賞『コンビニ人間』(村田沙耶香)は非常に面白かった。主人公は店員として同じコンビニに18年間アルバイトしているが、世間的には「おかしな人間」として自覚している。そのため奇妙な行動がしばしば現れるが、コンビニ内の仕事は、お客への挨拶や言葉かけ、商品の並べ方や置き方には「売るため」の一定の規律やマニュアルがあって自然にマスターしている。

ところが主人公は、自分は何もできないくせに世間を呪詛する男を住まいに引き込んで、ついにはコンビニをやめるのだが、次の職場探しの途中に偶然入ったコンビニで陳列棚の不手際に気づいて「こうでなくては」と思わず手が出てしまう。主人公はコンビニ名人になっていたのである。

『コンビニ人間』の存在は耳新しいが、多くの仕事や職場には「名人」と称される存在がいる。教師にも「授業名人」がいる。

ところが最近、若手教師が増えているが、先日もある学校で「最近の若手教師は熱心で一生懸命だが、授業にメリハリがなく子供がつまらなさそう」と語る校長がいた。

よい授業にみられる、子供が課題解決に向けて生き生きと活動する、その動きを創る教師のプロデュース感覚は貴重である。

例えば、「導入が勝負、子供が身を乗り出すような課題の提示を」「子供個々に向き合う姿勢で」「板書は素早く、教科書体で」「子供の考え、つぶやきを拾え」「姿勢や声の高さなど、子供個々の話す力の指導を」「子供個々の考えをつなぐ」「授業を単調にしない」「深めたいもの、発展させたいものを明確に」「授業の成果を確認する」など、指導技術は多様である。

「授業はこうでなくては」という、教師のこだわる姿勢が大切である。「授業」は奥が深い。しかし、繰り返し授業のスキルを修練することで、やがて名人とまでいかなくとも「授業人間」となる。

このことは今後の教師にとって極めて重要だと考える。最近、AI(人工知能)が出現して多くの職業を奪うのでは、と不安視されている。確かに単調な繰り返しの多い職業は消えていく可能性が大きい。

教師の仕事も毎時間同じような授業スタイルで行っているとすればAIにとって代わられるであろう。だが、教師の仕事はなくならない。子供とのコミュニケーションの質的な高さや、授業の持つ知的で創意に満ちた授業展開はAIには不向きである。もしもAIが代替するのであれば教師失格と言ってよい。

さらに重要なことは、AIやICTは機械知で学習活動を進めるが、教師と子供との触れ合いは人間知による相互作用である。デジタル機器のはびこる世界では、むしろ人間同士の触れ合いこそ重要になる。その豊かさを増進させるのが「授業人間」の仕業である。