【連載】学校の「あたりまえ」を考え直す 2 生きるコスモロジーを知る

明治大学准教授 内藤朝雄

 

学校で味わう理不尽さや残酷さは、「あたりまえ」の生活習慣に根ざしているためはっきり意識しづらいが、遠い距離から眺めるとその奇怪な姿が見えてくる。

その際、人々が生きるコスモロジー(「わたしたち」を包み込む膜)を知ることが重要になる。

コスモロジーとは、共同生活の中でその内側しか見えないほど、生活世界を緊密に包み込む信念、感情、反応の体系である。その中で人は、自分が属する小さな社会を、外部がない一つの宇宙(コスモス)であるかのように感じる。生活と一体化した太古の原始宗教がその典型例であるが、現代社会でもカルト宗教や暴力革命集団や戦争中の全体主義国家に見られる。

学校は、常軌を逸したといってよいほどしつこく、あらゆる生活を囲い込んで学校のものにしようとする。人間という材料から「生徒らしい生徒」をつくりだそうとする。生徒が「生徒らしく」なければ、コスモロジーとしての「学校らしい」学校が壊れてしまうからだ。

例えば、生徒の髪が長い、染髪している、スカートが短い、化粧をしている、色のついた靴下をはいているといったありさまを目にすると、教員たちは被害感でいっぱいになる。

「私たちの学校らしい学校が壊される」「おまえが思いどおりにならないおかげで、私たちの世界が壊れてしまうではないか。どうしてくれるんだ」というわけだ。

そして、生徒を立たせて頭のてっぺんからつま先までジロジロ監視し、スカートを引っ張ってものさしで測り、いやがらせで相手を意のままに「生徒らしく」するといった、激烈な指導反応が引き起こされる。コスモロジーが破壊されるという不安、被害感、憎しみが、このような行動に教員をかりたてる。

ところで、このコスモロジーの内実は全体主義的で人道に反するものなので、露骨に口にできるものではない。このコスモロジーの真実は、竹刀やものさしを持った「こわがらせ担当」の教員ですら、うすうす分かっていても、露骨に意識する勇気を持たない。

もしそれを口にして世に流布すれば、「学校らしい」学校は、青少年にとってきわめて有害な環境であることが分かってしまう。だから教員は、次のような問答をしている。

Q なぜ頭のてっぺんからつま先まで同じ服装でなければならないのですか?
A 服装が自由だと貧乏な人がかわいそうだから。
Q なぜ下着は白でなければならないのですか?
A 衛生状態を保つため。
このような詭弁をまじめな顔で口にしなければならないほど、他人に理不尽を押しつける側も苦しい。

本当の答えは、学校のコスモロジーを守るため、なのだ。