教員人生の思い出と“贈る言葉” 榎本智司全日中会長

「学校教育を支え、積極果敢に改革を」――。3月31日付で教職員として退職を迎えた、全日中の榎本智司会長が、計37年の教員人生を振り返るとともに、後進への“贈る言葉”を寄せた。


 

榎本智司全日中会長
榎本智司全日中会長

◇「学校教育支え積極果敢に改革を」◇

私は、昭和55年4月、東京都新宿区内の中学校で教員生活をスタートしました。定年1年を余して今年3月に退職するまで、中学校、高校で教員として15年間、教育行政で指導主事などとして14年間、中学校の校長として8年間の計37年間、14カ所で勤務してきました。

教員になったばかりの頃、ある生徒に「先生に話したって何の解決にもならないじゃないか!!」と言われたことがありました。校内暴力が吹き荒れた時代でした。教室に入ってきた上級生に暴行を受けた生徒がいました。何があったのかわからず、その生徒に「何があったのか話してくれ!」と言った時の言葉でした。

その時、何が何でも生徒たちを守らなければならないと強く思い、どのような場面であっても体を張って生徒たちの前に立つようになりました。

また市部の指導主事をした頃、上司に「ここで校長を支えなかったら、いつ教育委員会が学校を支えるのだ」と言われたことがありました。市内の中学生、高校生が路上生活者を暴行し死に至らしめてしまった時の上司の言葉でした。

その時、この言葉に強く心を打たれ、他の指導主事や職員とともに精一杯の支援をしました。どんな時でも、どうすれば学校を支えられるのかと考えながら仕事をするようになりました。

さらに、校長になって3年が経過した頃、自分の学校の教員に「私たちは毎日頑張っているのに、校長先生は私たちを守ってくれないのですか」と詰め寄られたことがありました。ある生徒がいじめにあい、緊急に全校保護者会を開き、学校の指導の不十分さを認め、謝罪した時の該当学年の教員の言葉でした。

この対応の中で、私たち教員に求められているのは「経過」ではなく、「結果」であると改めて思い知るとともに、そのことを教職員に伝え、発想の転換を求めるようになりました。

経験したさまざまな職の中で、特に印象に残っているエピソード、その時の対応、思いなどを書いてみました。

いつもたくさんの方々に迷惑をかけ、指導と支援をしていただきました。時には、叱責いただいたこともありました。そのような中で、退職を迎えました。

37年を振り返ったとき、楽しいことばかりではなく、むしろ辛いことの方が多かったかもしれません。それでも、自己満足かもしれませんが、恵まれた教員人生だったと振り返ることができます。その意味で、自分が信念をもって突き進んできた道は、間違いではなかったと思っています。

教員であろうと、指導主事であろうと、管理職であろうと、学校教育に関わる全ての方々は、ぜひ、いつも発想の中心を生徒に据え、明るく、元気に、笑顔で、誠実に、愚痴を言わず、最悪のことを考え最善を尽くす。そんな姿勢で、これからの学校教育を支え、積極果敢に改革していってください。よろしくお願いします。