(新しい潮流にチャレンジ) 遅れがちな子供の指導を考える

教育創造研究センター所長 髙階玲治

 

非認知能力育成で教育を変える
○子供の成長についての残酷な真実

最近、ひどく気になっていることがある。例えば、「子供の人格や能力・才能の形成に子育てはほとんど関係ない」と言われたらどう思うであろうか。また最近よく言われるように「貧困な家庭の子供は学力が低い」と断定されたら、どう考えるであろうか。

どちらもエビデンスに裏付けられた事実であるが、前者は橘玲の『言ってはいけない』(新潮新書、2016)に書かれている。以前、「波」(新潮社)に連載されていて関心を持っていたが、残酷な例は他にもある。後者は、「子供の学力、所得・親の学歴に比例」という耳塚寛明お茶の水女子大学教授の論考がある(日経新聞2015、8・3付)。

学校教育の力が個々の子供の成長に及ぼす影響は大きいと考えるが、それにしても教育には限界があって、教育効果がみられなかったり、教育格差を生み出していたりするという事実をどう受け止めるべきか、悩ましい問題である。

そこで考えるのは、「子育ては無力だ」「学校教育は限界がある」という事実を踏まえて、それでも「子育てを有意義にする」「よりよい学校教育に努力する」という強力なスタンスを創り出す必要があるのではないか、ということである。

それはきれいごとで物事を考えることではない。努力は報われないかもしれないのである。それを承知で教育の仕事に専念する。そこに新しい教育創造を見いだす可能性があるのではないか。

○貧困への対応策が創り出すもの

子供の貧困対策が最近多様に論議されており、「チーム学校」の一つにソーシャルワーカーの学校配置がある。教員は教育指導に専念するのが最も重要な職務であるが、個々の子供について家庭がかかえる問題にまでは手が届かないのが普通である。それに対してソーシャルワーカーは、専門機関などと連携して指導に役立つ情報を提供したり、教員と一緒に問題の解決に当たったりする。

その場合、最も必要とされるのは「子供の自立」をどう支援するかである。自立のためには何よりも経済的な援助が必要だが、それは国などの政策によることで、学校ができることではない。必要なのは学校教育として最も重要な学力を向上させることであるが、「子供の学力、所得・親の学力に比例」といわれるように容易ではない。

しかし、最近の研究報告によれば、貧困対策として行った事例の結果から貴重な教育方策が導きだされているのではないか。

例えば、アメリカの「ペリー就学前計画」が有名であるが、その研究は低所得層のアフリカ系アメリカ人の3歳と4歳の幼児123人を2つに分けて、半分を幼児教育プログラムで指導し(処置群)、あとの半分はプログラムを受けないグループ(対照群)とした。なお、対象の幼児の半分は3歳児ですでに家庭に父親が不在だったという。

1962年から67年まで、プログラムを受ける幼児は2年間、みっちり指導を受ける。それから50年以上過ぎた現在まで、2つのグループのその後について追跡調査を実施した。

その追跡では驚くような結果がみられた。40歳時点での調査結果だが、例えば高校卒業者は処置群77%(対照群60%)、年収2万ドル以上60%(同40%)、生活保護受給者10%(同23%)、40歳までに5回以上逮捕された割合36%(同55%)などであった。つまり幼児教育をきちんと受けた結果が、進学率のみでなく、社会に出てからの所得や就業によい影響を及ぼしているといえる。

このことから、ノーベル経済学賞のシカゴ大学のヘックマン教授らは、幼児教育が後の人生に影響を与えた要素として、①認知能力②非行や暴力といった外在的問題行動③学習に対する動機付け④非認知能力などその他の能力――に整理している。そして極めて重要なことであるが、「統計的な分析の結果、認知能力を通じた影響はとても小さく、非認知能力をはじめとしたその他の要因が大きな影響を与えていることを明らかにしている」という(日本財団子どもの貧困対策チーム『子供の貧困が日本を滅ぼす』文春新書、2016)。

○非認知能力を日常的に育てる

子供の成長にとって非認知能力は、幼児段階から極めて重要といわれるが、その内実は何なのか。一般的に流布されている非認知能力は、まだ定義が一定でないようだが、学力や記憶力、IQなどの認知能力とは違った面を示している。例えば、目標に向かって頑張る力や忍耐力、仲間と協調できる社会性や思いやり、自己評価にかかわる自尊心や感情の抑制などである。

この非認知能力は、貧しい家庭の子供を対象にしたヘックマン教授らの分析にみられるように、学力で遅れがちな子供を積極的に指導すれば、かなりの効果を上げうるものである。むしろ、認知能力が劣っていても、非認知能力を高めることで将来の社会的役割を十分果たす可能性があるといえる。

そこに学校教育の大きな役割があるのではないか。とかく学校には、学力の結果のみで子供を判断する傾向がある。全国学力調査の結果が示されたとき、「この学校は扶助家庭の子供が多くいて、それで学力が低いです」と説明する校長の言葉を何度も聞かされた。

確かに、家庭の所得が学力に影響するが、子供の将来を考えれば学力向上のみに偏らずに、非認知能力を育む学習場面を多様に用意することで、頑張る力や仲間との協調、自信を高める工夫を行うべきである。その意味では学級活動や学校行事、総合的学習、体験活動などは重要な役割を持つといえる。

学校の場合、子供は毎日登校してくるのである。その子供に直接触れ合う場として、学校が積極的に非認知能力を高める学習活動を設定する。それはかなり可能なのではないか。

さらに重要なのは、非認知能力の形成は、遅れがちな子供のみが対象ではなく、すべての子供に必要だということである。特にわが国の子供は、自己評価が低く、自己肯定感も自尊感情も他国の子供に比べてかなり低い。

そのような現状を考えれば、学力向上などの認知能力を高めると同時に、やり抜く力を高める学習体験を大いに進める必要があると考える。新学習指導要領が掲げる「学びに向かう力」の形成は、非認知能力なくしては達成できないものである。

実のところ、十数年先には予測不能な社会動向が生まれる可能性がある。そのような社会を生き抜く力を子供個々にどう身に付けるかが教育の重要な課題である。その手掛かりのひとつが非認知能力の形成である。

学校はこれまで学力形成を重点課題として取り組んできた。それに加えて非認知能力の形成という新たな課題も同時的に展開する必要が生まれるとき、それは複雑さや困難度を増すと考えるであろうか。

むしろ、子供自らが「やり抜く力」を発揮すれば、学校教育は豊かな学習展開が図られるのではないかと考える。