(新しい潮流にチャレンジ)教育課程はどう進化してきたか(2)

教育創造研究センター所長 髙階玲治

 
子供に身につけたい「力」の課題

○学習内容と授業時間の課題

前回述べた80年代の教育は「ゆとりと充実」をスローガンに掲げるものであったが、それは90年代も続く。そして戦後最も教育レベルが低下するのは、前回のイメージ図を思い起こしてほしいが、2000年代である。年間授業時数が削減された結果、70年代と比べると、例えば中学校の数学は3年間で420時間から315時間に25%も減少している。理科も420時間から290時間に31%の減少であった。

なぜ、このように授業時数が減少したかといえば、直接の関係は学校週5日制である。週5日制は1992(平成4)年から月1回のペースで始まった。95年には月2回。完全学校週5日制になるのは2002年である。

2000年代の教育課程が「ゆとり路線」の一層の進展といわれるが、その基盤となる考え方には「子供観の転換」がある。

例えば文部省(当時)の教育課程指導資料には次の文言がある。

「これからの教育においては、子供たちは、本来、よりよく生きたい、より向上したいという望ましい欲求をもった存在としてとらえることが大切である。子供一人一人の生き方や考え方、夢や希望などの思いに基づいて自分のよさを生かしたり、発揮したりすることによって、望ましい欲求が満たされ、心豊かに、主体的、創造的に生きていくために必要な資質や能力を自ら獲得することになる」(文部省『新しい学力観に立つ教育課程の創造と展開』、1993)
今考えると、極めて楽天的というか、子供への期待過剰というべきか、ともあれ教育課程の底流にはこのような子供観が存在していた。当時私が感じたのは、教科の授業時間を削減しても、子供が主体的に学ぶことによって学力低下は起きないであろうという奇妙な雰囲気であった。

だが、2000年代の「ゆとり教育」において授業時数の削減が学力低下をきたすという考えはなかったのであろうか。学校週5日制が課題として提示されたのは臨教審以後、1987年(昭和62年)の中教審『答申』である。当時週休2日制が社会全体に急速に広がっていた。

しかし、例えば企業が週休2日制に踏み込む場合、最も懸念するのはその結果として生産力が低下しないか、ということである。実は週休2日制は中小規模の企業から始まるのだが、当時も通勤は厳しく片道1時間が普通であった。土曜日3時間の労働に2時間かけて通勤するという実態がみられたのである。

そこで3時間を月~金曜日に加えると1日36分延長するだけで労働時間、つまり生産力を低下させないで済むと考えたのである。

学校の生産力は「学力」である。土曜日の授業を他の曜日に回すのは無理と考えたのか、それとも学力を維持できると考えたのか、授業時数の削減が課題となった。80年代よりも「ゆとり」に向けて一層傾斜する事態となったのである。その結果、「ゆとり」が「ゆるみ」になったとする認識さえみられるようになった。

○「拡大」と「縮小」のジレンマは続く

2000年代の教育は当初から厳しい批判にさらさせていた。その顕著な例は、当時の遠山文科相が学力低下を懸念して発表した「学びのすすめ」(2002)であった。学力向上アピールを文相が出さざるを得ないほど学力低下への危惧が国民全体に広まっていた。

当時の私は次のように書いた。「わが国の教育は、これから大きく転換しようとしている。その動きは新教育課程が実施されることで起きたのではない。むしろ奇妙なことだが、始まったばかりの新教育課程を超えて転換が始まったのである。一言で言えば『ゆとり路線』からの決別と、確かな学力形成への新たな多様な展開である。この転換の動きは必然であると考える。これからの社会は、国際化、情報化、グローバル化など、世界規模での変動がますます強まるであろう。わが国の教育のみが学習内容3割削減という『縮小』した世界で安閑と過ごせるわけがない。国際社会において教育は際限もなく『拡大』し続けるからである。私は10年以上前からわが国の教育は『縮小』と『拡大』のハザマにあってジレンマを起こすと言ってきたが、それが現実のものになってきたという実感がある」(拙著『確かな学力と学習力を育てる』明治図書出版、2003)

しかし、「学びのすすめ」が提示されても学習内容がすぐに改善されたわけではない。当時は学習指導要領を超える学習内容として「発展的な学習」が提示され、教科書にもわずかに載るようになったが、その程度で終わった。「縮小」と「拡大」のハザマは容易に埋められない課題であった。むしろ、グローバル化は一層進展し続けることから、学校教育は将来的にも「縮小」されたままでギャップを埋めるのは不可能なのである。

○自ら学び、自ら考える「力」の形成

だが、2000年の「要領」の改訂で極めて積極的で特筆すべき新たな教育活動の導入がみられた。「総合的な学習の時間」(総合的学習)である。中学校の選択教科はあまり話題にならず今は消えたが、総合的学習は現在、一層重視されている。

総合的学習が極めて特異な学習形態であったのは、学習目標、学習内容、学習方法等が学習指導要領に示されないで、それぞれの学校が固有の学習課題を選択し、数週間にわたって課題追究するスタイルであったことである。そのため週3時間程度の授業時間が確保された。

総合的学習の「ねらい」は「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てる」ことであった。子供に身に付けさせたい「資質・能力」の形成として、総合的学習はひとつの典型を示していたのである。

ただ、総合的学習は多くの課題を抱えていた。当初かなり意気込んだ形で導入されたものの、週3時間を手余す学校が増加したり教科指導に傾斜したりした。教師たちからかなり不評でもあった。そのため「ゆとり路線」からの脱却を目指した2010年代の教育課程において総合的学習は消えるかと思われたが、週1時間削減する程度で生き残ったのは賢明であった。その背景には、これからの教育に必要とされるのは、単なる知識や技能のみでなく、子供個々が自ら考え、課題追究する能力の形成が重要と考えられたからである。

2010年代の教育課程はOECDのPISAの影響が大きかった。キー・コンピテンシー重視の考え方がみられたからである。それは知識・技能や態度を含むさまざまな学習で得た力を活用して、複雑な課題に対応できる能力であった。

ただ、そのことが現行の教育課程に十分反映していたかどうかは疑問がある。むしろ、これから目指す2020年の教育課程に実質化されるのではないか、という期待がある。わが国の教育課程は、その経過を考えてみると、未来志向に向けてようやく進展し始めたのではないか、と考える。

しかし、2020年の教育課程にも多様な課題がみられる。週の授業時数は満杯で、学校の創意工夫の余地は限られる。複雑化・多様化する教育活動への対応が学校教育の困難度を増加させる。学校は豊かな教育環境を創り出す可能性はあるだろうか。