「漫才×教育」「落語×教育」「新聞記者×教育」――。教職志望の学生に向け、斬新な授業プログラムを次々に生み出す大学教員がいる。東京理科大学の井藤元准教授だ。プロの漫才師や新聞記者を講師に迎えて実施するプログラムは一見、学校教育と何ら関係のないように見えるが、受講した学生は「教職に生かせる」と口をそろえる。井藤准教授へのインタビューを通じ、教職を目指す学生に必要な力を考える(全3回)。
教職を目指す学生が漫才を披露
――漫才師のスキルを学ぶ「笑育」や、新聞記者のスキルを学ぶ「新聞教育プログラム(記者トレ)」など、一風変わったプログラムを次々と監修していますね。
松竹芸能さんと組んで実現した「笑育」は、本学において今年から「教職パフォーマンス演習」という名称で正式科目(1単位)となりました。
漫才づくりを通して、コミュニケーション力や表現力を磨くプログラムで、漫才師を講師に迎えて学生が漫才の基本構成を理解し、自らが漫才をつくって披露し合うものです。プロの漫才師がどのようにネタを作っているのか、どんな視点を持って人を笑わせているのかなど、小手先のテクニックにとどまらず根底の部分まで理解を深めることを目指しています。
今年5~6月にかけて実施した「記者トレ」では、アナウンサーをファシリテーターとして招き、記事の書き方やインタビューの手法などを学生たちに伝えました。毎日新聞社が開発し、私が監修をつとめる本プログラムでは最終的に学生自らが記者となり、サッカーチームの「川崎フロンターレ」などにインタビューをして、記事を執筆しました。
基本的な文章の書き方はもちろん、どのようにすれば読者の興味を引く文章になるのか、他人から話を聞き出すためにはどんなコツが必要かなど、記者としてのマインドを徹底的にたたき込む内容です。
――漫才や新聞記事…。教師になるために役立つスキルだとなかなか思えないのですが、どのような狙いがあるのでしょうか。
「表現のプロ」といった一点に着眼して、企画しています。
大学の教職課程を見ると、教師に必要な「伝える力」や「パフォーマンス力」の育成に特化した授業がほとんどありません。自分の見せ方や物事を効果的に伝える手法などは、重点的に学ぶ機会がもっとあっていいはずです。
特に、本学のように教育学部を持たない大学は、専門学科の授業があった上で、教職課程の授業があります。そのため、教員だけの力では、そこまでカバーしきれないのが実情ではないでしょうか。
本学の学生を見ていると、専門的な知識・技能はとても高いのに、それを伝える力があと一歩及ばず「惜しいな」「もったいないな」と思うことがよくあります。「伝える手法」を学べる機会があれば、教科の面白さや学生自身の魅力をもっと児童生徒に伝えられるはずだと思い、本プログラムを企画しました。
即戦力至上主義からの脱却を
――なぜ現役の教師ではなく、漫才師や新聞記者など「表現のプロ」を連れてきたのでしょうか。
学校関係者のみでプログラムを完結させてしまうと、学校組織に順応する人材の輩出が優先されてしまう可能性があります。それではつまらないし、これからの学校が求めている教師像はそうではないはずです。
まずは既存の教師像を取り払い、考え方の間口を広げ、多様な価値観に触れる。その上で、「これは教師になったとき使えるな」と発見しながら、自身の教師像をチューニングしていってほしいと思っています。
もちろん板書や発問など、教師として直接的に必要なスキルを学ぶことも重要です。ただ最初から即戦力至上主義で最低限のスキルにしか触れないと、長い目で見たときにこぢんまりした教師になってしまう気がします。
『ベスト・キッド』という映画をご存じでしょうか。主人公の少年が空手の師範に出会い、修行を積み重ねて強くなっていくストーリーです。
その最初の修行は、ワックス掛けやペンキ塗りなど、空手には全く関係が無いようなことばかりなのです。でも、ワックス掛けが相手の拳をはたく動きと同じだったり、ペンキ塗りが空手の形と同じ動きだったりと、実は空手のスキルを磨く修行になっていたというオチがあります。
私にとっての「笑育」や「記者トレ」は、まさにそれです。たとえ「漫才をつくるなんて、教師になる上で意味があるの?」と思っていても、取り組んでいるうちに、気が付けば教師に必要なスキルが身に付いているような流れが理想です。
ベースはシュタイナー教育
――プログラムを構成するにあたり、どういった点に留意したのでしょうか。
プログラムのベースには、私の専門であるシュタイナー教育があります。
私自身、小学1年生の1年間をスイスのシュタイナー学校で過ごしました。シュタイナー教育は、「自由への教育」を掲げ、さまざまな教科の学びを通して、自己を深く認識し、世界や他者との関わりを実感しながら体得することを目指しています。
最終学年(高校3年生)で全員が参加する「卒業演劇」では、脚本から舞台セットまで生徒たち自身の手で作り上げ、それまでの学びの集大成として演劇パフォーマンスを行っています。
そのような文化に触れて幼少期を過ごしたこともあり、そもそも自分が受けたシュタイナー教育とは何だったのかを突き詰めたいと考え、教育学を志しました。
シュタイナー教育は日本の教育手法とはかけ離れた、特異な部分も多々あります。ただ根本的な考え方は教員養成にも生かせるのではないかと考えています。
――具体的に、シュタイナー教育のどんな部分と響き合うのでしょうか。
例えば「エポック授業」です。シュタイナー学校では3~4週間にわたり、主要科目のうち1つの科目だけを集中的に学びます。算数を学ぶなら、毎日、午前中は算数の授業だけ。その間、例えば社会や理科など他の科目の授業は行われません。
1タームで1つの科目を学んだら、次にその科目を学ぶのは数カ月先となります。その間に学習した内容は忘れてしまいますが、実はそれこそが鍵。忘れていく過程でその学びを血肉化させ、潜在意識に定着させるのです。
本学のプログラムもこれに示唆を得て、2カ月間ほど集中的に実施し、漫才師や新聞記者の技術と向き合うように構成しています。
受講した学生がプログラムで学んだことを忘れてしまっても構いません。そこで得た知識やスキルを時限爆弾のように体の中に眠らせておいて、教壇に立ったときに爆発させてくれればいいのです。
「無意識にしていたけれど、あの時『笑育』で学んだことだよね」などと、いつか思ってくれる瞬間があれば大成功です。
教採目的だけで授業はしない
――すぐに効果は実感できないかもしれないけれど、しっかりと根付いているということですね。
シュタイナー教育も、「あのやり方で果たして受験を勝ち抜けるのか」などとよく言われます。でも、そもそも学習の最終目的は受験を勝ち抜くことではなく、人生をよりよく生きることのはずです。だから、受けた教育が正解かどうかは、学習者自身が一生かけて答えを出すものだと考えています。
教員養成も同じことが言えるのではないでしょうか。私がいつも心にとどめているのは、教員採用試験に受かることを目的にした授業はしないことです。目の前の学生たちの長い教職人生を見据え、「自分にしかできない授業を見つけてほしい」と思いながら、そのきっかけとなる問いを日々投げ掛けています。
――今後、新しいプログラムに着手する構想はあるのでしょうか。
実は、劇団四季出身の女優、高城信江さんとともにミュージカルと教育を掛け合わせたプログラムを開発しており、後期から実施する予定で進めています。
こちらも「記者トレ」と同じく、毎日新聞社が企画し私が監修を務めています。ミュージカルのメソッドを教員養成に生かせるのではないかと試行錯誤している段階です。
もちろん学生に、漫才師やミュージカル俳優になってほしいわけではありません。ただ、さまざまな分野の「表現のプロ」と触れ合い、そこから自分なりの教師像や教育観を確立するヒントを得て、自分自身や教職と向き合うきっかけにしてほしいと願っています。
(板井海奈)