私は、新任で生徒数が千人を超えるマンモス校へ音楽教師として赴任しました。今でもそのときの経験を鮮明に覚えています。そのころは、まだ学校が荒れている時代で音楽の授業を行うのは本当に大変でした。歌わせるために立たせるところからうまくいかず、授業はいつもざわざわしていました。反発してきた子と言い合いになったことも数知れません。
しかし、半年ほどたち、合唱コンクールの練習が始まったころから、ようやく子供と心がつながり始めました。練習を見てほしいと呼びに来てくれることがうれしくて、一日中、声が出なくなるまで一緒に歌っていたことが思い出されます。
そんな日々を過ごし、卒業も間近に迫ってきた2月下旬、卒業式の練習が始まりました。私は3年所属だったので、卒業の歌の指導を担当しました。曲は「大地讃頌」。荘重な響きが魅力の混声四部合唱です。
初めて3年生の子供たちを集めて歌い合わせる時間。私は四百人の子供たちを前にどんな大合唱が生まれるか、わくわくしながら練習を始めました。
しかし……、うまくいかないのです。子供たちが集中してくれなく、歌い終わるとすぐに私語が始まってしまいます。大きな声を出しても収まりません。
見るに見かねて、学年主任の先生が先輩の音楽の先生を呼んできてくださいました。
指導をバトンタッチして練習が始まった瞬間、子供たちの表情、歌声が一変しました。ほどよい緊張感の中にも笑いが起こる雰囲気づくり。ちょっとした指揮の動きに反応して、歌声がどんどん伸びていくのが分かります。歌い終わった後、子供たちは大きく変わった自分たちの歌声に感動して歓声を上げていました。その姿を見て、私はただただぼうぜんとするばかりでした。
私は、自分が音楽の音ばかりを追っていて、静寂を大切にしていないことに気付きました。静寂の中には子供たちの息づかいがあります。その息づかいこそ、四百人の歌声を一つに束ねていく命綱なのです。
練習の後、先輩の先生は私に優しく声を掛けてくださいました。
「河合くんが見てきた子供たちだから、きみが指導して卒業させるべきだよ」
その言葉に背中を押され、私は勇気を振り絞って学年主任の先生に申し出ました。
「もう一度、がんばってやってみたいと思います。卒業の歌の指導をさせてください」と。
学年主任の先生は、力強く、短く、「分かった」と答えてくださいました。
再び練習に臨み、私は、共に音楽づくりを楽しもうという気持ちで子供たちと向き合いました。また、子供たちが集中し、存分に歌にひたれるよう静寂を大切にし、自分たちの息づかいや歌声に耳を傾けられるような働き掛けを行いました。なかなかうまくいかなかったものの、卒業式当日、子供たちは美しい別れの涙を流しながら、心のこもった歌声を聴かせてくれました。
私にとって、この経験は音楽教師としての原点になっています。私たちは、「子供の息づかいが分かる教師」でなくてはならないし、「仲間の息づかいを感じられる子供」を育てなくてはいけません。これは音楽科に限ったことではなく、全ての教育活動につながるものだと思います。
若い先生方、静寂の中にある、子供の息づかいを感じとってみましょう。
(河合厚志・西尾市立一色中部小学校長)